9月4日 フェリーでモーレアへ移動

 フェリーに乗ろうとしてびっくり、日本語で乗船案内が書いてある。去年のオーストラリア、ニュージーランドと同じく、日本人観光客が多くなった為なんだろうか。はて、それにしてはホテルの中では日本語が全く役にたたなかったなあ。と思って案内を読みなおしてもう一度びっくり、最後のところに”久里浜丸船長”と書いてあるではないか。こいつは東京湾フェリーの中古だ。ちょっとでも海が荒れるとすぐに欠航してしまうあいつのセコだ。いくら近いとはいえ相手は南太平洋、ホンとに着くのかしら?第一どうやって日本からここまで運んできたんだろう。地下鉄に電車を入れるじゃないけど、考えると夜も眠れなくなってしまいそう。

 モーレア島は山々の頂に雲を抱いて、実に神秘的に見える。僕の抱いていた南太平洋のイメージそのものだ。留さんはもっと情熱的なイメージを持っていたらしく少々がっかりしている。ギラギラと輝く太陽と情熱的な現地の娘たち、ゴギャンが愛し、映画”南太平洋”の舞台となったバリハイの世界、彼の心の中で膨らんでいた南太平洋のイメージは生れ故郷の土佐を洗う黒潮の陽に情熱的であったのだろう。しかし同じ四国なのにどうしてこんなにもイメージが違うんだろう(僕は阿波っ子)。そういえば昔から四国四県の人間性を比較した小話がある。もし一万円を道で拾ったら、讃岐(香川県)の人間は貯金する。伊予(愛媛県)の人間は物を買う。土佐(高知県)の人間はこりゃあ何かいいことがある前触れに違いないと行って十万円飲んでしまう。そして我が阿波(徳島県)は更に一万円足して貯金する。(ケチ)第一、僕はいわゆるしらけ世代の人間で情熱とか感動とかいうものとは縁が無い。

 リーフを越えるとそこは嘘のように静かな入江だった。ゴーギャンの時代にいた長い黒髪のトップレスの美女の出迎えはなかった。話が違うぞ!
 ホテルへ向うバスを見てビックリ、トラックの荷台に木製のハコをのっけただけで、中には粗末なベンチが一応着いている。窓はプラスチックを切っただけで、思わず強制収容所行きかと見紛うばかりだった。(まあ生活は似たようなものだが)総勢 40人が乗ったバス?はさすがに重すぎた。20分程走ったところでパンクしてしまった。やっとウルトラらしくなってきた。スタッフ一同慌てず騒がず記念撮影、パチッ!車の前には紺碧の水を湛えた静かな入江が広がっている。鏡のような水面にはヨットが数隻錨を下ろしている。白いケッチの上では二人の外人(ここでは僕が外人だが)ゆっくりと本当にゆっくりと作業をしている。南太平洋と言う何かが時計の針の進み方を遅らせて一に違いない。時折かなり強い雨が振ってくる。南方特有のスコールという感じではなく、どちらかというと日本で言う秋の長雨と行った感じ。濡れると少し肌寒い。近くにあったビリヤード場で迎えの車を待つ。ようやくやってきたワゴン車でホテルへ。

 やっとのおもいでホテル着。12:30
 午後からスタッフの主だったところはロケハン(現場を見に行く)。
 僕は美術の職内(内職のこと、ちなみにアナウンサーの職内で多いのは結婚式の司会、医者の職内で多いのは救急病院の当直。かたや 2時間で稼ぐ金を我々では 10日間かかる)。その後、時間が実にゆっくり過ぎてゆくのを楽しみつつお昼寝。

20時よりスタッフ会議

 明日はカヌー綱引き競走。カヌーに繋がれた挑戦者による一対一のクイズ、敗者は沖の浮き輪までカヌーで引張られていきそのまま罰ゲームの予定。つまり敗者は浮き輪で東京直行という設定。タヒチと行っても今日のような天気だとジャージの上下が必要。ましてや濡れた体に風があたると結構きついものがある。
 明日のクイズでは僕は沖のレスキューボートに乗る予定。ヨット歴 15年のキャリアが活かされないことを祈ろう。


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