9月3日 グアム泥んこクイズ

 午前 4時 30分起床、夜が明けにうちに出発。グアムだというのに寒い。
土砂降りどころの騒ぎではない、バケツどころかプールの水をひっくりかえしたような雨だ。泥んこプールというより単なる水たまり、機械のセッティングしたものの旨く動くかどうか。例年ウルトラクイズは晴天に恵まれていたらしいが悪運もこれまでか。
 緊急ミーティングにて当初の泥んこクイズは中止、時間短縮して○Xクイズに変更。不正解者、希望者は泥の中へと決定される。

 このクイズは実に医者泣かせだ。かつて何人もの人が興奮と緊張の余り受け身に失敗し、打身、捻挫をしており1ケ月の旅行の中で最も医者が忙しくなってしまう日である。去年も腰を打った挑戦者がいて、大事をとってグアムメモリアルホスピタルへ連れていった。ところが何と言う不運か日曜日であった事と 5重玉突き衝突が重なり 5時間も待たされた上げくのはて、いい加減な医者がレントゲンも撮らずに OKだという。これじゃあ骨折があるかないかが心配なこっちとしては納得がいかない。思わず片言の英語で
「ドウイチテコッセチガナイトオモウノカ?オレハニホンジャユウメイナノウシンケイゲカイダ(嘘つき!)ソレクライハアホデモワカル。レントゲンヲトッテクレ。」
「OK、ソコマデイウナラトロウ。タダシアト 3ジカンマテ。」
この国ではこういうとき、Fuck youと言う。
 という訳では僕はこのクイズ形式が始ると途端に憂欝となってしまうのだ。幸いにも今年は怪我人はゼロであった。ああよかった。兎にも角にも泥んこクイズはスタッフ一同のずぶ濡れの努力と一握りの幸運で無事終わった。

 来年からの挑戦者の皆様に一言。
 泥んこクイズは走り抜ける感じで決して飛込まないように。


濡れネズミでブルブルふるえながら撤収。

 ホテルに帰って熱いシャワー。グアムでこんな寒い思いをしようとは。シャワーの後は美術の連中とくつろぐ。去年に引続きドクターは美術の一員として働くことになりそうだ。
 チーフはS、別名セッタのSとも言い、ニューヨークだろうがアラスカだろうが裸足でセッタばきである。第一回よりずっと歴代美術のチーフはそうである由、少しは痩せ我慢もある様子。デザイナーはK。いい奴なんだが時々見せる芸術家の一面は僕には理解しがたいことろがある。先程より一人で副を着替えてばかりいる。ファッションショーをやっているらしいが誰も見ていない。そういえば一昨年は僕の先輩を入れてアラスカに持っていく防寒具のファッションショウーをプールサイドでやったらしい。趣味なのかしら。大道具のHはいわゆる職人肌の人間だ。なぐり(鉄ヅチ)を持たせると天下一。いつもはおっとりしているが、ことギャンブルになると責め一方となる。バカ勝ちするか、大負けするかどっちかだ。電気系統はSの担当だ。K電設という会社、実に子煩悩だ。いつもかあちゃんと子供の写真を持ち歩いている。結婚しろしろと説教され続けた。別に結婚したくない訳ではないが、田舎を出てからもう独り暮しが 15年、何の不自由も寂しさも感じない。まあ、時たま二人でもいいかなと思うが、さりとて園K持ちも長続きしない。結婚は地獄だと言う人は多いが、独身は地獄だと言う人はいない。第一、腹が出ていて稼ぎも悪い、むっつりすけべで眼も近い、おまけにがにまたで毛深いときたら女が寄ってくる訳がない。

デザイナーのKにインキンタムシの薬。大事に育てるよう忠告す。グアムの泥んこは洗っても落ちない。挑戦者の人達には記念だが僕にとって一張羅、頭に来る。

18:30 グアム発
05:45 ホノルル着 タヒチに向けて10時間のトランジット ホテルで仮眠を取る。

 ホノルル空港で荷物を積替える。一口に荷物と言うが全部で 4.5トン、それを人海戦術で積替えるわけだからもう戦場の忙しさだ。ちなみに去年の罰ゲームで荷物をバスに積ませるのがあったが、途端にまめが潰れ、おまけに積めたはずの荷物に積み残しが出来てしまった。こんなことにもプロはいるのだ。カウンターの前で日本人の観光客の女の子が具合悪そうにしている。聞けば夕べは一晩中飲んでいたという、飛行機の出発まで後 1時間しかないが気持悪くて乗れそうにないとのこと、仕方ないので点滴してやる。無事つくといいが。

 アラモアナホテルで朝食。日本食を頂く。残った時間でショッピング、その後プールで日光浴。よくよく考えたら日本を出てから初めてみる太陽だ。腹を痩せて見せるには焼くのが一番、ただし焼けるまではみっともないが。

 15:40 ホノルル発。ビーチで挑戦者のSさんが軽い捻挫、同じくKさんはホテルのベッドが合わず腰痛。最年長のお母さんは、肩凝り。去年と同じく挑戦者の人達は、やはり精神的にストレスがかかっているらしく日本じゃ気にならないことでも一々相談してくる。そろそろ始ったか。

 アロハエアーは実に酷かった。 DE8 007便、Korean Airを思い出す。やだなあ。食事も最悪、よくもまあ外人はこんなものが食えるなあ。あいつらきっと鼓索神経がないに違いない。スチュワーデスも愛想の欠けらも無い。まさか近ツリ(近畿日本ツーリスト)値切ったんじゃあるまいなあ。
 音声のIさんの腰痛の持病が再燃、クーラーに弱いらしい。暝想をやるようになってから特に体の微妙な変化に神経が行ってしまうとのこと。投薬す。
 DC8の為か席が狭い、おまけに隣は 108Kgの ADパンチョだ。 6月にダイエットしておいて良かった。

タヒチ時間 21:45 パペーテ着。

 日付変更線を越えたお陰で 9月3日は 48時間もあった。
 ホテルにて遅い夕食、おにぎり弁当?歪な形でとても売物になりそうに無いが味はまあまあだった。タヒチは丁度春先で、夜は結構涼しい。
 東京より FAXが届く。 AIDSが日本でも確実に増えているらしい。アメリカ本土が近づくにつれ現実問題として感じられるようになってくる。アメリカに留学していた先輩の話だと白人の医者はもはや初診の患者は見ず、有色人種の医者のみが診察するところまできているという。casual contactではうつらないというが、AIDS専門の医者でさえも
「私は、あなたの病気は恐れていませんよ。」といって硬い握手をかわしたあと、患者のいないところで消毒液で手を洗うのが現状だ。いくら大丈夫だと言ってもそのままの手でサンドイッチは食えない。ましてやウイスルのうじゃうしゃしている血液が飛散る手術など言語道断だ。アメリカでは宇宙服のようなのを着てやっているが、もし自分がやらなければならない羽目になったらどうするだろうか。うつれば 7年以内に 99%発症し、発症したら最後、後はただ死を待つだけである。ちなみにカリフォルニアとニューヨークのホモは 10年前とすべて入替わっている。出来ることならば出合いたくはないというのが本音だ。

2時就寝、 6時起床。


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