サンタフェ
サンタフェとおいら
日本でも、そしておいらでも知っていた街サンタフェ...。
この街の事を、「宮沢りえの写真集」で知っていたが、写真集自体ををみたことが無かったおいらは、もっと明るい街を想像していたので、バスからの車窓を眺めていると砂砂砂...の砂漠とのギャップに驚きを隠せなかった。
降り立ったところはホテルとケンタとチャイナレストラン位しか無く、ここはメキシコのサンタフェじゃないの?とスタッフに聞いてしまう...(^^;)今となっては恥ずかしい一幕を繰り広げてしまう程信じられなかったのでした。(そこが市街地だという事を知るのはずっと後のことでした。)
その日の夕食はチャイナレストランでした。飲物を注文したとき、アイスティとウーロン茶を注文するとおかわり自由(よくドトールとかである水ポットで出てくる)と知っていたので注文すると、店員から「アイスティとウーロン茶は、同じだからアイスティを注文しなさい」と言われ、日本語が堪能だったことに驚き(日本人だったのかも...)
夕食を堪能したのでした。
次の日の朝。挑戦者御一行様はアイマスクを付けてバスに乗っていた。
第一印象を撮りたいのだろう。スタッフから配られ付けるように指示があったのだ。バスは進むが、どこに行くのやら...。着いた場所は、岩とサボテンだらけのブラックメサが見える場所だった。
みるからに何を行うか解りそうな景色...そう、バラマキクイズ...その時、大西さんから聞いたあることを思い出さないといけなかったのにバラマキをすることに頭が飛んでいた...。そのある事とは、「バラマキの時はスタートダッシュが肝心で、その順番が最後まで関係してくるので、最初は何でも良いから取ってこないといけない」と、言うことだった。
忘れていたあほなおいらは近場のハズレ入りの方に走ってしまった。なぜ、近場なのに誤った選択なのか?ビデオをお持ちの方はみて頂くとわかるのだが、スタート時の鎌田さんの行動を見てほしいみんなと違う方向に走っているのだ。
そう、ヘリからまくと言うことは風の影響でとんでもないところに飛んでしまったのを鎌田さんは狙っていたのです。後から聞いて冷静さを失わないすばらしい人と思ってしまったのは言うまでもない。
その後、敗者になりインタビューに入り「もういや」で、締めくくられている。
会社への感謝の気持ちをカメラの前で放送はされないことも分かっているにもかかわらず話していた。予想通りおもいっきりカットされていたので誰に言っても信じてくれないが、事実である。
さて、持っていた封筒の問題は何だったのか?ウルトラ審査委員会の一番偉い人(だったと思う)に「その問題は見ない方が良いよ」と言われ、解らずじまいになってしまった。
さて、収録も終わりワゴンの中に荒井君とふたりでいた。彼はその後に起こることを予想していたのかもしれないが、おいらは罰ゲームはなんだろう?なんて考えていた。
スタッフから「1Pのメダル返してね」と回収されてしまった。そこで、「記念に貰えませんか?」とお願いする。スタッフと交渉して頂いて貰えることになった。いまでもうちにしずかに眠っている。
そして、電話ボックス以外はここ数年使われていないような場所に到着した。
「帰還の連絡をしよう」あやしい...。ひじょーに臭い芝居を周りのスタッフがしている。もしかして、ふっかつ?
電話を何回掛けても自宅には全くつながらない(^^;)
しょうがないので叔父の家に電話をしてやっとつながる。その時刻、日本時間午前2時頃そう、在宅確認をしていたのである。
その後に、連想クイズと聞かされて(まずい、そのルールだと完全に負けるどないしょ(-_-;))
なぜ、そんなに落ち込んでいるのか?
実は、昔から焦ると答えを導くヒントではなく答えそのものをいってしまう癖がありまして(;_;)
案の定やってしまった(^^;)
(ひげ)くちとあご、付くのほら、くちひげっていう…。ほら、やっちゃった(^^;)そんでもって、東京直行を前後に張られて…。
また、ワゴンに乗せられある駐車場に降ろされて時間待ちスタッフの人と会話を楽しむ
ス「アメリカの何処に行きたかった?」
こ「えっ?」
ス「N.Y.とアトランタ以外でね」
こ「アラスカです」
ス「あそこは良いイメージがないなぁー」
こ「そうなんですか…。」
ス「体力をつけないとね」
こ「はい…。」
ス「じゃあ、行こうか」
こ「はい。」
お楽しみの罰ゲームはまたのお話で。
罰ゲームとおいら
サンタフェはやはり、おいらの考えていた街でした。華やかでそして、個性的な人と観光客で賑わう街。さぁーおいらはこの街でどんな罰ゲームをするのか?かかってこいモードのおいらでした。
とりあえず、街を歩くところから撮影。その後、画廊に到着してある紙袋を渡され、それを開けると中身は紺色のタンパン1枚のみ。
ス「溝渕君下着はブリーフ?」
こ「いいえ。トランクスですけど…。」
ス「悪いけど脱いでくれる?」
こ「へっ?」
ス「ごめんね」
こ「えーーーーっ ノーパン!!!(TOT)」
後日談ですが、タンパンはあるスタッフのおふるだったそうです。(TOT)
(読まれているかたへお願い)
10年間誰にも話さず封印していたお話なので、読んでいない人には内緒にしてあまり聞かないようにしてあげてください。(これいいより)
しょうがないこれも罰ゲーム…。奥でそそくさと着替え、胸にネームプレートを貼り街頭に向かうのでした。
福澤さん「それにしても毛深いね」
これ「はははっ(^^;)」
福澤さん「さぁ行こうか」
これ「はい」
さて、目抜き通りにビール箱2つ。なんだか新人演歌歌手の営業みたいな状態でそこに立ちペイントが始まる。
ぺたぺたぺたぺたぺた…。
デニス=ヒューズ氏は軽快に塗りたくる。
ぺたぺたぺたぺたぺた…。
ひやっ!ちべたいすっ!
顔やへそに塗られたり、結局、すべて塗りたくられた状態になり、鏡を見せられても落胆するしかなかった。
なんせ、あれだけ塗られては言い返す気もなく逆に楽しもうと考えたのでした。
スタッフ全員が道向こうに行き撮影を始める。これは任せるから好きにして!と、言うことだろうと考え周りの人と交流を持とうという自分勝手なメインテーマのもと始めたのでした。
でも、英語が話せない…うーん、万国共通(なのか?)ジェスチャーで行こうと決め周りをみたのでした。すると、大半の人がカメラを持っている…これだ!それで、一緒に撮ろうへ(^o^)ノ
とやったのですが、なぜか?おいらを撮れと通じるばかり…さて、困った…。
すると、後ろの方からおいらの名前を呼ぶ人がいる。
ス「溝渕!テイク ア ピクチャー ウイズミーと言うんだ!」
こ「はいっ!」
すごい日本語風な英語を使い「ていくあぴくちゃーういずみー
へ(^o^)ノ」を連発しなんとか撮影に成功!
その写真は一枚も持っていないが、世界中のどこかのアルバムに貼ってあるとうれしいな(^^;)
その後、名前が「メイドインUSAこれいい」価格も決まりウインドーに飾られる羽目に…。
そして、撮影も終わり撤収の時、デニス氏からTシャツをもらいそこに無理矢理サインを書いてもらい満足してアルバカーキーに向かったのでした。
東京直行とおいら
サンタフェからタクシーで高速道路を経て40分くらいでアルバカーキーに着く。
サンタフェとまったく違い、ビジネス都市という感じであった…。そんでもってそこを通過してアルバカーキー空港近くのちいさなホテルにツアコンの方とチェックインした。
真ん中にはプールが付いたホテルで部屋も広くこの旅で一番居心地が良く、ゆっくり考えることができた唯一の時間が出来た場所であった。
家族のこと
会社のこと
友達のこと
etc...
そして、この旅の事…。
ふと、気が付く「いろんな事がありすぎて考える暇が無かったんだ…。」
この1泊は自分を見つめ直すいい機会をウルトラクイズが与えてくれたのかもしれないと、考えながらねどこについた。
次の朝、アルバカーキーでツアコンの方と別れ、ひとりサウスエアにてロスにむかった。
最後にとおいら (あとがき)
このHPを始めるときは「すぐに書いてしまうだろうから、次になにを書こうか考えないといけないなぁー」なんて考えていました。
書き始めた当初はとにかく書かないととあせっていました。でも、ふと思ったんです。書きたくなったら書こうと・・・。
気がついたらこんなに長引いてしまいました。関係者ならびに「早く書けよいいかげんにしろ!」と激励していただいた方ありがとうございます。
やっと書きましたからねっ(>o<)/ 何とか書きましたからね(^^)
ウルトラクイズが復活することを祈りつつ・・・。
2001年8月