国内〜グアム上陸
大阪T(東京ドームとおいら 前編)
国内第1次予選前日(1992年8月8日)この日は台風10号の影響で大阪駅の電光掲示板には九州方面からの夜行が運休の知らせが表示していました。おいらの乗る夜行は出るんかいな?と心配をしながら、急行銀河を待つ事にしました。(この電車と大垣から出る急行が関西・三重・中部方面から行く人は多く乗るそうです。)国内第1次予選(東京ドーム・1992年8月9日)なんとか第1問発表時刻7時にはなんとか到着第1問目「ニューヨークの自由の女神像
STATUE OF LIBERTY がアメリカ合衆国の硬貨に描かれたのは1986年100周年記念の時が初めてである。」問題が出たと同時に速効メモを取り、大阪の友達関係へ連絡、電話検討会となりました。「この問題の出し方は怪しいぞ!○臭い」とか、「問題に像なんて言葉はあんまり出ていない(後で調べたら、何回か使っているみたいです。(^^)/
)ところを見るとこれは女神像のみに限定しているんじゃないか?」なんて事を言われながら、おいらは電話を掛ける前は×だと思っていたのに、掛けた後は完全に○になっておりました。(優柔不断なおいら・・・)結局、○ゲートに行きハガキにハンコを押してもらってゲートを通過しました。1年ぶりのドームは相変わらず涼しいところでした(おいおい(^^;
)でもだんだん時間が迫ってくるに連れて、○
のエリアが×に変わって来るじゃないですか・・・結局○はたった10,842人まずいっ!失敗したかな?そんで持って疫病神のいるところは○だし・・・なんて思いながら始まるのを今かいまかと待っていると遠くに炭ガスを発見!福澤アナのような人が外野側から、走りながら「ニューヨークにジャストミ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ト」「みんなニューヨークに行きたいか〜」「お〜!」「罰ゲームは怖くないか〜」「お〜!」「第1問突破するぞ〜」「お〜!」「クイズは多数決じゃないぞ〜」「お〜!」(おいらにとって、この「お〜!(^^)/
」を言いに東京ドームに来てるような物です。)
「御待たせしました 正解はこれだ〜」 オーロラビジョンには・・・
○
おいらはあの中で、「うぉ〜〜〜〜〜〜〜っ!」とか喚きながら喜んでいました(^^)
東京ドーム( 東京ドームとおいら 後編 )
第2問目「アメリカの象徴「自由の女神」もちろんアメリカ海軍には現在その名を持つ軍艦がある。」×はグランドにおりる・・・実はその前年に「後で踏めるから、いいや(^^)ここ最近居残りが正解だもんね(^^)」なんてすかした事思って居座ったんですねぇ〜これがアダとなって人工芝を踏む事が出来ずに大阪に帰った覚えが蘇ってきました。「えぇ〜〜〜い降りちゃえ!」そんな理由で降りたのでした。そんでもって、正解は・・・
×
第3問目「オリンピックのメダルとノーベル賞両方とも獲得した人はひとりもいない」おいらは、「ひとりぐらい、いるんじゃない?」なんて感じで×にしました。こんな奴でも正解はするんです。そんなこんなで、正解は・・・
×
第4問目「13日の金曜日は毎年必ずある」この問題だけは知っていました。自信を持って答えたのはこれだけでした。正解は・・・
○
第5問目「「シンデレラ」と「眠れる森の美女」原作者は同じである。」おいらは、こうだったらいいのになぁ〜なんて思いながら○にいきました。どこかでウォルト・ディズニーと違うの?なんて声が聞こえてきて、思わず(同士よ!)なんて思ってしまいました。正解は・・・
○
第6問目「勝ち力士がもらう大相撲の懸賞金袋の中には現金が入っている。」昔、五円ぐらい入っている何かで聞いた覚えがあったのですが(5円は大袋の事だったと聞いたのはつい最近知りました)、まさか3万円も入っているとは思いませんでした。正解は・・・
○
第7問目「乾電池の単1、単2、単3。長さは全て同じである。」この問題には聞き違いがあったもんで((((((((^^;
おいらが聞いたのは「乾電池の単1、単2、単3。太さは全て同じである。」なんて聞き違いをしたもんだから、「何でこんな所でやけに簡単な問題をだすんやろう?」なんて思いながら、×に行ったことを思い出します。正解は・・・
×
そんでもって、予選通過 !! 夢にまで見たドーム通過!!
じゃんけん!!できるんだ〜〜〜〜〜 (^^)y
渡航説明会(あぁ麗しの合格弁当とおいら)
合格者は内野でバンザイヽ(^。^)ノをしてからドームの大型荷物搬出入口より出て行くのです。
そのあと、"ウルトラクイズドーム合格者"とかいてあるプラカードを持った女性に連れられ後楽園会館(名称は自信はありません((((^^;
)のホール内に合格弁当が・・・書き方がわからず困った末後ろの人に聞いたのですがわからすじまいしょうがなく前を向いた後、「ガシャン」と音が鳴り振りかえると弁当が思いっきり宙を舞った・・・・。 名古屋から来た夫妻の奥さんのを!!!!
必死に謝り、まだ食べていないおいらの弁当を渡しました。ごめんなさいm(_
_)m その後、やさしいスタッフ様からお弁当を頂きました。あ〜うまかったです(^o^)
説明会の内容はあまり覚えていません。とにかく合格と弁当がぐるぐるまわっていましたから・・・。
大阪U(会社とおいらとウルトラと)
後楽園会館のウルトラクイズの渡航説明会が終わり、帰りがけに名刺大のカードを引いてから帰りました。ドームの近くに着いたときにはもうウルトラの面影は一切なく、巨人戦(多分(((((((((^^;)のふいんきいっぱいでした。それを尻目に大阪に帰りました。次の日、ウルトラクイズ渡航のしおりを片手に上司の前に立っていたことは言うまでもありません「課長お話が・・・」「なに?どうしたん?」渡航のしおりを差し出して「じつは・・・ウルトラクイズの100人の中に入りまして・・・成田にいけることになったんですが・・・」「えっ!ほんと!ちょっと見せてみ」チョット時間がたってから「わかった上に話してみるからちょっと時間をくれるか」「はい」その日の帰宅時には答えが出ましたその答えは「行っても良いよ(^^)ただし有休は1日分だけ出して、後は何日になるかわからないから帰ってきてから事後処理ってことで良いよ」ありがたいお言葉でした。先輩方に「会社のハッピを着ろ」とか「会社のPRしろ」など皆さんから激をいただきながら日本テレビに行く日までを過ごしておりました。
日本テレビ(日本テレビ社屋とおいら)
集合の日8月30日昼すぎ大阪を出発夕方羽田到着そのまま飯田橋駅へそこから日テレまでは上り坂ばっかりであの地図はなんやったんや?くそ〜とか言いながら日テレに到着。この日は「24時間テレビ愛は地球を救う」の放映日だった為集合場所はいつもと違うとのことでした。集合場所に到着後カードと例の名札とパスポートと引き換えて集合会場に入りました。説明後バスにて成田エアポートレストハウスに移動、おいらとおんなじ部屋に入ったのは千代田さんとOOさん(ごめんなさい
m(_ _)m お名前がわかりません。もし、「これはおれだ!名前ぐらい覚えとけよ〜!!!プンプン(--#!」って方いましたらご連絡ください。その暁にはちゃんとお名前を入れさせていただきます。)でした。ツインの部屋に3人入るもんですから、どうしても仮設ベットに寝る人がいるのですが、まだ誰とジャンケンをするのか決まっていませんでしたからジャンケンはしたくないもんです。結局はあみだくじになり、おいらが簡易ベットに相成りました。
成田(ジャンケンとおいら)
次の日の朝ジャンケン会場に集合、ジャンケン相手は新潟大学クイズ研究会の人で後で聞いたのですが、15回の時も成田のジャンケンまで来たすごい人だそうです。相手の人がハンズで売っている「ぐー・ちょき・ぱー」のボードでし、その人も何を出すかわからないように後ろ手で出す作戦だったのでおいらは逆にほっとしました。なんせ会社でジャンケンの練習だとか言われて何回もしましたが、どうもおいらが何を出すのかが相手に判るらしく負けてばかりいましたから(相手もわかんないんだから、何出しても良いや)なんてもんでした。なんとか勝ってグアムに行くことに相成ったのでありました。
ANA(機内とおいら)
400問ペーパークイズのことはさておき(おいおいッ!!・・・だって、おいらにウルトラ対策聞く人はいないでしょうから割愛するだけね(^^)もし知りたい人はどっかのチャットかメールでね)台風の関係で乱気流で飛行機はフリーフォールとジェットコースターと急流すべりを同時に乗ったような感覚でした。なんせ胃が体から飛んでいきそうな感覚で、「うぉ〜〜〜〜〜〜っ」って何回言ったかわかりません。それでもおいらの胃は強靭だったようで、機内食をペロッと食べた上にとなりの人(下村くんだっけ?)の分まで食べちゃいました(その人がパンとかケーキとかいらないって言うからですよホントですよ((((((((((((^^;)
グアム(グアムリーフホテルとおいら)
ブーブーゲートのお友達ブーブタラップでピンポン(^^)と相成りましてホテルに泊まることなりましたが、ツアースタッフから「皆さんの鍵をお渡しします。部屋は5階と6階ですが、電気が自家発電でやっているためにエレベーターは動きませんですので非常階段から荷物を持って上がってください」ってな事が言われたのです。みんな鍵と「六甲のおいしい水」と懐中電灯(だったと思う)をもらって重いトランクを持ち、登って行く事になったのでした。(ノ_;)部屋に行く階段には所々ラウンジとかのテーブルにおいてあるロウソクが置いてあるわ部屋に入っても電気水道は一切使えないトイレもバスタブに溜まっている水をバケツでタンクに入れて流すってな感じです。もう寝るしかないって事で、ビーチのほうから聞こえるカナヅチの音を子守歌にしながら眠ったのでした。次の日、おいらが泊まった部屋はこんなに良いのかと驚いたのは言うまでもありませんでした。