はじめに


 我々の医局でウルトラクイズに医師を派遣しだして 3年になる。ひょんなところ(つまりは飲み屋)で知合った TV局のプロデユーサーとかいう、一般人には聞慣れない職業の人からの紹介であった。
 第12回は 2年先輩が行き、ふらふらになって帰ってきた。翌年分院からの長期出張を終え帰ってきた僕に(つまり疲れ果てた先輩の姿を知らない僕に)医局長から白羽の矢がたった。
「阿部、専門医の試験も合格したことだしちょっと息抜きに旅行でもしてきたらどうだ。旅費も向う持ちだし、楽しいぞ。」
「え、本当ですか。僕なんかが行っていいんですか。」
「勿論いいに決っているじゃないか。ただし医師派遣費は医局の研究費にするけどいいよな。」
「はい、それは結構ですけど、一体何をすればいいんでしょうか。」
「同行医師の仕事なんかたいしたことじゃない。観光してりゃいいんだよ。○○なんかもう一度行きたいってうるさいのなんのって、なだめるのに大変なんだぞ。ともかく行ってくりゃいいんだから。」
 医者の嘘は方便と言うことをいうことを思い出したのは成田を飛立ってまもなくであった。
 翌平成 2年 6月、再び医局長から電話があった。
「学会主催する関係上、人がいない。去年も行ったんだからついでに今年も行ってくれ。それじゃあ頼んだよ。あ、そうそうこれは上の方にも、もう言ってあるからね。」
「え、でも....」
「え、電話が遠くて何を言っているのか聞えんぞ。あ、そうそう、それとこの前、白い巨塔のレーザディスクをみつけたんでそっちにも送っといたから。見ておくようにな。」
 「不肖、阿部 聰、医局のためならば喜んで行かさせて頂きます。」


8月12日 ビッグエッグでの予選

 柏病院から看護婦 3人を連れて行く。点滴、安定剤、簡単なファーストエイドの道具のみ持参する。いざとなったらどっかへ送ればいいや。日本にいる間は何とかなる。
 相変らず 2万 7千人の熱気は凄い。毎年何人かが緊張と熱気とで倒れてしまう。朝礼の時に倒れるのと同じである。一昨年からドームになりその数は減ってきているが、北は北海道、南は沖縄から夜を徹して集ってくる以上、安心は出来ない。
 クイズ開始前 1時間だというのに会場の熱気はすでに絶好調に達している。一塁側から始ったどよめきが三塁側に波及し、そして今度はそのおかえしの波が三塁側から一塁側へ。
今年の第一問は、「自由の女神には不慮の事故や災難に備えて損害保健が掛けられている。」○かXか。一塁側が○、三塁側がXで、既にこの時点で、子、兄弟、友人、恋人が敵味方となってしまっている。二つの運命共同体はそれぞれが1万数千人ずつとなっており、その群集心理たるや大変なものである。一箇所で起こった「マル、マル、マル」という叫びは数十秒後には1万数千人の大合唱となる。昔、ヒットラーの演説の記録映画を見た記憶が蘇ってくる。大衆操作ってのは簡単なのかもしれない。そうこうしていると係のオッちゃんがやってきた。
「すみません。野球の試合を待ってた子供が腹痛なんですが、診ていただけませんか。」
やれやれ外の面倒まで背負い込むのか。まあいいか。

白煙とデロリアンに乗った留さんの登場で、会場の興奮はクライマックスを迎える、はずであった。おかしい、留さんが出てこない。どうしたんだろう。間が空き過ぎてしまうとせっかくの盛り上がりが元も子もなくなる。ドッキン、ドッキン、隣にいるプロデユーサーの心臓の鼓動が聞える。スタッフ全員が総毛立つ。デロリアンのエンジンがかからないらしい。ドームの中に持込めるガソリンの量は数百ミリリットル、おまけに車はアメ車、リハーサルで動いた方が不思議だ、仕方がない。幸運にも、ほとんどの人は TVではいつも手押しでやるものだとおもったらしく、さしたる混乱は起こらなかった。
 期せずして「バック トゥ ザ フユーチャー」を地で行く羽目となった。そしてこれが今回の旅を暗示するものであることは神ならぬ身の知るところではなかった。
 かくして 100人の挑戦者が決った。が、これで仕事が終ったと思ったら大間違い、これからが今日の本当の仕事である。挑戦者の健康診断をしなくてはならない。とうのもこのクイズ、かなり日程も苛酷だし、ゲーム内容もハードで、ダウンした人も過去かなりいる。しかも普通の海外旅行と違うのは、先週まで画面に出ていた人が急にいなくなっては困るのである。本番が 1時間その人のために押すわけ(時間が余計にかかること)にはいかないのである。旅先での病気ならいざ知らず、持病の発作が起こっては泣くに泣けない。もっともこれは自己申告制でいってくれなきゃあわからない。去年のNさんのように肝炎をひた隠しにされてはわかりようがないが、たかがテレビの番組と命とどっちが大切か、考えるまでもない。勘違いされては困るので付け加えるが、持病のある人すべてを連れて行かないわけではなく、その中でも何か起こる可能性がある人、そしてそれが結構大変なことになりそうな人のみに御遠慮願っているのだ、薬や点滴でなんとかななりそうな人は出来る限り連れていくようにしている。
 出発までの 2週間は挑戦者の診断書の整理、主治医への確認の電話、持って行く薬の整理で大車輪である。ちなみに今回持って行った薬のリストは次の通である。(注)日記ページの表紙に掲載してあります。

[日記カレンダーへ] [次の日記へ]